津山と珈琲の由来
「珈琲」という字の発祥は津山
珈琲を味わいながら洋学者・宇田川榕菴の功績をたどってください。
コーヒーを漢字にすると「珈琲」と書きます。この字をあてたのは誰かご存じですか?それは津山藩医であり洋学者(蘭学者)の宇田川榕菴(うだがわ・ようあん)なんです。榕菴は幕末の頃、西洋からもたらされた医学や化学などの翻訳を行い、「酸素」「水素」など、それまで日本になかった言葉を生み出しました。日本の近代科学の発展に大きく貢献した人物なのです。「珈琲」という字はオランダ語のkoffieに漢字をあてただけではなく、「珈」は女性の髪につける玉飾り、「琲」は玉飾りの紐の意味があり、枝に連なる真っ赤なコーヒーの実を表していると言えるでしょう。西洋植物学にも精通していた榕菴だからこそ、この字をあてることができたんですね。
榕菴にちなんで生まれた「津山榕菴珈琲」は、当時オランダを通じて日本に持ち込まれたコーヒー豆と同種のものをブレンドしたこだわりの味わいです。「津山榕菴珈琲」を味わい、津山洋学資料館で津山藩の洋学者たちの功績にも思いをはせていただければと思います。
津山と洋学ゆかりのスポット
津山洋学資料館
宇田川榕菴はもちろん、西洋の内科医学を初めて紹介した宇田川玄随や幕末の対米露交渉で活躍した箕作阮甫など、津山出身・ゆかりの洋学者らの資料を展示。箕作阮甫旧宅
江戸時代後期の洋学者、箕作阮甫が13歳の頃まで住んだ旧宅。箕作阮甫は幕府天文台に出役し、ペリー、プチャーチン来航に際し外交書簡の翻訳に携わった。宇田川家三代墓所
(浄土宗天祟山 泰安寺)
平成元年(1989年)11月、津山の「宇田川家三代顕彰実行委員会」が中心となり、宇田川家三代墓所が多摩霊園(東京)から泰安寺(津山市西寺町12)墓地に移転改葬され津山の史跡となりました。宇田川家は、日本の近代文化発展の創始者として郷土の偉人です。
津山の榕菴珈琲を飲んでみる!
「珈琲」の文字誕生から200年。
「津山榕菴珈琲」をぜひ一度どうぞ!
城西浪漫館では、郷土が生んだ 偉人・宇田川榕菴を顕彰するため、江戸時代にオランダを通じて日本に持ち込まれたコーヒーと同種の豆をブレンド。榕菴がスケッチとして残したコーヒーカン(コーヒーの煮出し器・オランダ語でコーヒーポットの意)をもとに復元し館内のカフェで提供しています。同時にブレンドしたコーヒー豆を「榕菴珈琲」として発売。江戸時代の珈琲の味に可能な限り近づけるため、あえて密封を避 け、当時と同じく紙袋(裏面・油紙)と 木箱(贈答用) の2種類を用意しました。津山みやげとしてもどうぞ。
津山で榕菴珈琲を味わえるのは 城西浪漫館だけですが、販売は和蘭堂、津山観光セン ターでも取り扱いしています。
津山榕菴珈琲を販売している場所はこちら